KATSUAGE

僕は人生で一度だけ「かつあげ」というものに遭遇したことがある。

 

それは高校三年の、予備校帰りの夜道を自転車で走っていたときだった。

駅の駐輪場をでてすぐに、横の建物からあきらかにチンピラ風の男が自転車をこぎだすのがみえた。 

一抹の不安が頭をよぎる。

 

「ねぇねぇカネ貸してくんねぇ?」 

 

不安は的中したらしくさっきの男がぼくのとなりにぴったりと張り付くようにしながらこう言った。

貸してくれというのはもちろん方便であることくらいわかった。貸したとして返す気など毛頭ないのである。それでも一瞬「本当にこまっているのかな」とおもってしまったわたしはまったくかわいい。

 

ともあれ人生初のカツアゲというもののまっただなかにいるわたしはとても焦り、そしておびえていた。と同時になぜかある種の興奮も感じていたのを覚えている。

それはまるで相手が「KATSUAGE」というリスキーなゲームを仕掛けてきている様なそんな興奮を、、、

 

そしてこのゲームのルールはたったのみっつ。

 

1     相手の要求を聞き金銭を支払う。

2     相手の要求を拒絶する。→ ケンカ → 勝者 or 敗者

3     逃げる。 → 成功 or 失敗

 

だが結局わたしは上記のどの選択肢にも属さない返答をした。

 

「あれ?ダイちゃん?ダイちゃんだよね?」

 

 

ハトが豆鉄砲を〜という表現はこんなときに使うのだというほどダイちゃんと呼ばれた男は動揺した。

僕はすかさず「え、東部中でいっしょだったよね?」

「え、いやちが、う、おれは下中だよ」

「あ、なんだおれはってきりダイちゃんかと思った」

 

 

自分がカツアゲしようとした奴がもしかしたら友達だったらどうしよう、そんな焦りがダイちゃん(実際には別人だったが)を襲っていた。

これはいいかえれば彼は「KATSUAGE」というゲームを仕掛けたのに、今度は逆に「DAICYAN」という新しいゲームを反対に仕掛けられてしまったということだ。

一度あたらしいゲームを仕掛けられるともう一度自分のゲームを仕切り直すのは難しくなる。

ダイちゃんはしばらく僕と並んで走ったあと十叉路を左に曲がり、

「気をつけて帰れよ」といってそのままどこかへ去っていった。

 

はじめてのカツアゲはこうして奇妙な結末を迎えた。カネをぶんどってやろうと近づいてきた彼は最後、相手を気遣うセリフを吐いていくのだから。

 

この体験はわたしに妙な自信を与える事になった。

この世界の物や出来事は自分に対してなんらかのゲームを仕掛けてきている。

そしてそのゲームには必ずルールが定められていてそれから逃げることはできない。

それに対して唯一対抗しうるのは新しいゲームをはじめてしまうことだ。

もちろんそれはデタラメではいけなくて、実感に基づいている必要はある。

仕掛けられて、仕掛け返す。そんな関係をこの世界ともちたいと思っている。

その結果としてわたしは自分なりにこの世界を理解していけたらとおもうのだ。